希薄になった人間関係の糸を断ち切ろうとするコロナ
どうも、ださぽです。
無事に出産を終え、家族、親戚、友だちから
お祝いのメッセージなどを頂き、心温まることが多く、心の支えとなっております。
本当に感謝の気持ちが尽きません。
しかしながら喜びに影をさすのは、またしてもコロナでした。
コロナ禍で出産というような節目を体験して
人の暮らし方が変わっていく未来をひしひしと感じましたので、言葉にしてみました。
希薄になった人間関係の糸を断ち切ろうとするコロナ
感情表現の舞台は小さくなっていく
喜びを表現する習慣は最小限に縮小されていくでしょう。
出産
私たちはコロナ禍で出産を経験しました。
先に緊急事態宣言が出された都市からの、病院への訪問は自粛するように
伝えられ、窓からの面会。
出産後の面会もNG。母子ともに退院するまで、親子3人で会えないというような状況でした。
昨今では出産は人生に1回しかないかもしれない経験になりつつあります。
そんな命をかけた、1度きりの晴れの舞台に夫が参加できないことがコロナ禍での出産です。
結婚
近年結婚式は、身内だけで、2人だけで、写真だけで
家族婚、写真婚などの言葉、スタイルも生まれコンパクトになってきつつありました。
晩婚化も進んできており、結婚という価値の多様化を感じます。
コロナは、そう言った変化を受け入れられない層(つまり、盛大にお式をしましょうという方)に対する免罪符となり、結婚の個人化は拍車をかけて進んでいくように思われます。
現在、結婚式の延期、見送りなどの対応を行なっている方を多く見かけますが
これから結婚する方は結婚式という選択肢すら出てこなくなる可能性もあると考えられます。
お葬式
さてしかし、お葬式はそうもいきません。
故人は待ってくれません。
通夜や葬式も身内だけでという話をいくつか聞きました。
また病院へのお見舞い、面会もままなりません。
入院すれば退院するか、亡くなるまで家族と会えなくなってしまうようなこともあるでしょう。
お世話になった人と過ごす最後の時間さえ奪われていきます。
求めていた人間関係てなんだっけ?
冠婚葬祭などの節目は人と人を繋いでくれます。
しかしこう言った儀式的な行為は自粛、小規模化が進んでいきます。
まるで希薄になりかけていた、人と人の繋がりを断ち切ろうとしているように感じます。
煩わしいから、お金がかかるから、古い習慣だからと遠ざけていたものが、本当に消え去ってしまうように感じるのです。
お盆の帰省にも自粛ムードが出ています。
大切な家族や友人と
あと何日間一緒にいれるのかを数え出してしまう冷静さと
途中で数えるのをやめたくなる気持ちの
ほんの狭間に、こころの安定があります。
しかし
あと一歩のところで、その安定が壊れて行ってしまうような気がして恐ろしいのです。
本当に現代人らしいわがままだと思うのですが
希薄な人間関係を求めていたのであって
関係が綺麗さっぱり解消されていくことまでは望んでいないんです。
まとめ
以上コロナ禍での出産を体験して、肌で感じた人間関係の変化を感じまとめてみました。
これまでの人間関係を、続けていくヒントは
『希薄な人間関係を維持する為に情熱的なアプローチが必要』という点だと思います